YAMASHITACHOU CRONOMETRO

SAUCE DEVELOPMENT 所属 TTスペシャリスト見習いのBlog

2017 ツール・ド・おきなわ 100km U39 備忘録

※Disclaimer※

  1. Blog記事として公開しているものの、筆者自身の備忘録としての意味合いが強いです
  2. レース中の回想については正確性を伴わない可能性があります
  3. レースにたらればは無いというのが信条ですが、多分に言い訳要素を含んでいると自覚してます

今年のレーススケジュールと沖縄への意気込み

今年前半は、JBCF、2days木島平、AACA-TT、筑波8耐等のレースに参戦しましたが、後半はほぼ沖縄のみにフォーカスしたスケジュールになりました。

それと言うのも、昨年から参加しているバミューダトライアングル練メンバーの沖縄での活躍や熱心さを目の当たりにして、「自分も同じレースに出てみたい」と強く感じた為です。

(今年もメンバーが140km2位、100kmOver40 4位6位、100kmUnder39 3位と大活躍したので結果を残せなかった事が悔やまれます…)

沖縄に向けた具体的なトレーニングプラン

  1. 8月頃まではレースを走る為に最低限必要な「時間辺り出力」を身に着ける
  2. その後はその出力を維持して弾数を増やす、3時間闘い切る持久力を獲得する

というのが大きな枠組みでした。

想定外の変調と気付き

実際、7月下旬までの流れはほぼ予定通りで、「さあ、ここからは距離耐性を身に着けよう」と考えていた矢先に変調をきたします。

  1. それまで出ていた出力の85%程度で限界に達する
  2. 非常に疲れやすく疲労感が抜けない

8月中旬頃に上記症状が表出し、大ブレーキが掛かりました。

原因ですが、年間を通して週間TSSは500~600で安定して推移していたので過剰なトレーニングとは考え辛く、一番の理由は超高温下での長時間トレーニングによるものだと結論付けています。

結局、最後まで変調前の時間辺り出力に戻し切る事はできず、本来のトレーニングプランで持久力強化に充てるはずだった時間を丸々復旧に費やす事となり、今回のレース結果に大きな影を落としました。

それでもなんとか10月後半頃には一定ラインまで戻し、沖縄対策練(沖縄のコースに極力似せたノンストップ100km周回練)でも上記入賞メンバーとしっかり渡り合える状況で、コース中に設定されている普及川ダム登り想定のヒルクラパートでは強さを見せられていました。

もっとも沖縄の様なロードレースでは単発登りの強さはあまり重要とは言えず、最低限集団のペースでしっかり登れれば問題無いという事を改めて感じましたし、それ以上に重要なのは「持久力」であるという事です。

沖縄対策練では強さを見せる事ができた反面、80km~90km辺りで脚が「毎回」攣るという現象に頭を抱えました。
前述したトレーニングプランで本来行うはずだった「持久力強化練」が不足している影響がモロに出た結果です。

ここまで一緒に頑張ってきた皆の士気を下げるのが嫌で、冗談めかして言っていましたが、正直不安で仕方なかったです。

レース当日スタート直後まで

どうしても取り除けない不安を1つ抱えたままではあるものの、腹を括ってレースに挑みます。

初めての参加でしたから、勝手がわからず自転車を並べるのが遅れほぼ最後尾です。

しかしながら何段階かの整列の度にポジションを上げる事ができ、ローリングスタート時にサクっと集団最前まで出ます。

奥の登りから普及川ダム入口まで

スタート直後から始まる奥の登りは先導車の真後ろでぬくぬくと登り、アクチュアルスタートと同時に前に出てきてくれたサイタマサイクルプロジェクトの2人が力強く集団をけん引してくれます。

そこに私も着いて、程々のペースで登りますが集団はだいぶおとなしめで被せてくる人もほぼいません。

そこから下りに入ると妙に集団が活性化。

ほぼ下り切った直線、集団かなり前の方で大落車発生…

自分は集団の一番左端にいて何事も無くやり過ごせたものの、後続が道一杯に広がり止まった為、先頭集団が一時30~40人程になるハプニング。

ダムだいぶ手前で集団は復帰できたので本当に良かったです。

普及川ダムの登り

ダムの登りに入ってからは脚がありそうな人の後ろを乗り継いでポジションを前目に維持します。

そうこうしていると緩斜面で優勝候補の川又さんが右レーンからするする上がってきます。

斜度がキつくなってからは頑張らず、少ないパワーで前に出れる緩斜面で緩めない上手いペーシングは勉強になりました。

記憶違いでなければ、中盤に差し掛かろうかというタイミングでもう一人の優勝候補である竹芝の宿谷さんがガツンとペースを上げて先頭に躍り出ました。

事前情報によると、宿谷さんは2年前の沖縄100kmで中盤から逃げ羽地で捕まったという実績と、今年の富士ヒル選抜クラスで総合7位という事。

とんでもない強者です。

できればペースを上げず脚を残したいという思い、そして単独逃げならいくら強者とてこの距離であれば(残り90km近い)大ダメージは必至という考えから、単独逃げを容認する雰囲気を作る為に数名で声掛け(扇動共に言う…)し、結果誰も追わずに集団のペースは維持され、宿谷さんの逃げが決まりました。

その後、頂上少し手前で1分25秒差をコミッセールからコールされました。

普及川ダム下り~学校坂

今日はあちらこちらで落車が発生していたので、KOM前に少しだけ抜け出して単独で下ります(私自身この下り初めてなのもあるので)

安全に下り切って登り返しを経て、学校坂に突入です。

集団最前列でサイタマサイクルプロジェクトの富元選手が一本曳き。

良いペースだったので後ろがぶちぶち切れていました。

この辺りで武井選手がするするっと前に上がって集団前方に陣取り始めた記憶。

斜度のキツイ区間が終わってからはだいぶ落ち着きイージーペースで進行していきます。

学校坂後のアップダウン区間

過去同じクラスに出た方曰く、この区間はサイクリングペースになるのが定番との事でしたが、集団は棒状に近い状態でペース良く進んでいたのが印象的です。

前の方では武井選手が力強く集団をけん引している姿をよく見ました。

また、この辺りから210kmの選手を徐々に吸収していき集団はかなり大きくなっています。

100kmのクラスは40人位でしょうか…

慶佐次~有銘

ここまでは、だいぶ余裕のある展開で、集団に埋没し省エネ走行出来ていたので一番の勝負所にあたる羽地の展開等について考えていました。

ただ、気掛かりだったのは集団にコミッセールバイクが付いておらず、逃げている宿谷さんとのギャップが全くわからない事でした。

(実はこの辺りで吸収していた様です。単独逃げだったので気付かなかったです。)

とは言え吸収した210kmの集団も走力のある有名人だらけで結果的にペースが速くなっていましたから問題無いだろうと思い、特段アクションは起こしませんでした。

羽地手前の平坦~羽地

カヌチャの登りも集団で登り切り、勝負に備えて補給を取りました。

STCのNoClampとLastKMのジェルをそれぞれ1つです。

てっきり羽地前の平坦路は誰も曳かずにペースが落ちると思っていたのですがローテーションが周りかなりの高速で集団が進んでいきます。

そしてとうとうその時がやってきてしまいました。

距離にして約89km地点、羽地突入少し前にローテーションで前に出たタイミングでピクピクと攣りの兆候が一気に噴出です。

「やっぱりなのか?」

真っ先にこう思いました。

ローテを降りていく最中に脚を振ったりボトルに残った水を飲み干したり、大きく深呼吸してなんとか落ち着かせようとしました。

ですが羽地の登り口に入って加速する集団に合わせた矢先、電撃が左脚に流れた様な…筋肉が捻じれる様な痛みで踏めなくなり完全に集団から置いていかれてしまいました。

ゴール

羽地までに残っていた100km参加選手は25名、僕はその中で最初の脱落者として勝負を降りる事になったわけです。

そこからは脚の痛みに耐えつつゴールを目指したものの、単純に脚が売り切れたのか気持ちが切れてしまったからなのか、ノロノロと単独走でゴールラインを通過しました。

来年

悔しい思いを晴らすべく、来年は改善点を徹底的に潰してリベンジします。

次こそは仲間と共に表彰台で嬉し涙を流したいです。